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クーネ フェイスタオル

クーネ フェイスタオル

クーネ フェイスタオル
ふっくらと弾力があり、吸水性も良く使い心地の良いタオルです。茶綿のナチュラルな色合いで、使いやすいサイズのフェイスタオル。100年以上の歴史があり、日本最大のタオル産地である愛媛県今治市で生産しています。柔軟剤などは一切使用せず、全工程こだわって仕上げています。丁寧な技術による高級感のある仕上がりで、贈り物にもおすすめです。

■(約)34cm×85cm オーガニックコットン100%(インド産95%、福島県産5%)●おてんとSUN企業組合

※綿は、土壌から収穫物への放射能の移行係数が非常に少ないといわれています。毎年、土壌と原綿の放射能測定をしています。


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2018 つなぐつながる より抜粋

「福島発 オーガニックコットンタオル」

東日本大震災支援
 ネパリ・バザーロは2011年3月11日の震災の2週間後から被災各地に入り、支援物資を届けたのを皮切りに、今日まで支援活動を続けています。緊急支援から現地の素材を生かした商品開発に至るまで、様々な形で、できることを精一杯にしてきました。
福島の支援
 被災地の中でも福島県は大地震、大津波という自然災害に加え、原子力発電所の爆発事故により大量の放射能が環境に放出され、最悪の場合は東日本壊滅もありえた大事故も加わりました。そのあまりに複雑で過酷な被害にどう支援してよいか分からず、力なく立ち尽くすばかりで、南相馬や飯舘村の方達の温泉ご招待を細々と続けてきました。
おてんとSUN企業組合との出会い
 ネパリ・バザーロは差別や貧困問題を抱える地域や方たち、災害で突然それまでの生活を奪われた地域や方たちと現地の素材で商品を開発し、継続して販売することによって、関わりを深めてきました。一方的な支援ではなく、ともに生きる仲間でありたいからです。
 つながりたいという思いを強く持っていれば、福島での出会いも自然に、いつかあると思っていました。知人からいわき市の「いわきおてんとSUN企業組合」がオーガニックコットンの栽培をしていると聞き、活動と商品に強く興味をひかれました。直ぐに訪問し、代表の吉田恵美子さんにお会いして経緯や想いを伺いました。訪問した5月中旬の畑は、丁度植えたばかりの種から発芽した小さなコットン苗たちが懸命に育とうとしている時でした。どんなに過酷な環境の中でも明日という日は来る。未来を創るんだ!と、苗たちが言っているようでした。つながりたいと強く思いました。
オーガニックコットンを始めたわけ
 吉田さんは環境問題に関心をもち、古着を燃やさない社会を創るためのNPO活動を28年間してこられました。震災後、古着の支援から始め、食材の提供などをする中で廃業する農家や休耕地がどんどん増えるのを知り、心を痛めました。農地は使わなければだめになります。何か農産物を育て農業の再生を図りたいと思っていた時、日本のオーガニックコットンのパイオニアの女性と出会い、コットン栽培のアドバイスを受けました。
 2012年、1.5ヘクタールの畑で栽培を始めました。植えれば育つだろうと簡単に思っていたそうですが、実際は苦労の連続。やっと収穫できても今度は輸入品に比べて割高な原材料と国内加工費のため販売価格が高くなり過ぎ、市場を得るのが大変でした。吉田さんが長年に亘る活動で築いたネットワークを中心に少しずつ市場が広がり、続けることができました。今では、コットンを仕事にしたいという若者も出てきました。
 おてんとSUNの活動はオーガニックコットン、コミュニティ電力、スタディツアーの3部門から成ります。コミュニティ電力の活動の一つ、自然エネルギー学校では、子どもたちが簡単な発電キットを手作りし、最初は近隣の学校などに設置しました。しかし、子どもたちから「もっと本当に必要としているところに届けたい!」と声があがり、ネパール大地震の被災地シンドバルチョークのムスレ村に支援することになりました。長年ネパールで活動しているネパリとしては、支援への感謝と共にご縁に驚きました。
福島の木綿の歴史
 日本の綿の歴史を辿ると、戦国時代後期までさかのぼります。各地で綿布の使用が普及し、綿花の栽培も始まり、江戸時代に入ると急速に栽培が拡大しました。各地に綿花の大生産地帯が形成され、明治政府により生産が強化され、1930年代には何と綿布の輸出量が世界一となりました。しかし、やがて安いアジア産の綿布に押され生産量は激減し、現在、個人やグループでの取り組みはあっても統計上の国内自給率は0%だそうです。
 福島も会津木綿が有名でした。綿花栽培の歴史も古く、1590年に領主となった蒲生氏郷が産業振興策として綿花栽培を奨励したのが始まりで、江戸時代初期には、加藤嘉明が以前の領国である伊予国(松山)の技術を会津に広めました。その後の領主たちも栽培や織物を奨励し、綿花の手紡ぎが農家の女性たちの冬場の貴重な収入源となりました。明治末期から大正にかけてが会津木綿の最盛期で、昭和になると需要の急速な減少によって、生産は縮小しました。山田木綿織元など頑張って伝統を守り続けてきた織元もいましたが、震災で廃業の危機に立たされました。しかし、見事に乗り越え営業を続けています。福島での綿花栽培復活は木綿の伝統を受け継ぎ支えることにもなるでしょう。
型番 8B7001-1
販売価格 2,100円(税抜)
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